Passer au contenu principal
  • Home
  • 創業者の挑戦と、会社のあゆみ

創業者の挑戦と、会社のあゆみ

1963

竹内製作所の設立​

1963年、長野県埴科郡坂城町に「竹内製作所」を設立し、自動車部品メーカーの下請けとして事業を開始した。ある時、建設機械の修理を依頼された。その現場では、「つるはしとスコップ」で作業しており、大変な重労働だった。「住宅の基礎工事を機械的にできないか」という声を聞き、竹内は水道管を埋設する際に「つるはしとスコップ」で穴を掘った経験があったため、硬い地面を掘る作業の大変さを知っていた。この経験から、「これはぜひ、何とかしてみよう」と思い、試作機の作成に取り掛かった。​

1971

ミニショベルの開発​

近所の工務店に試作機を持ち込みテストを依頼すると、「360度旋回するようにしてほしい」という意見をもらった。最初の試作機は、現在のように全旋回と言って360度回る仕組みではなかったため、掘った土砂を横に積み上げるとすぐに作業スペースが埋まってしまう。その後も工務店に納品してクレームが発生するたびに、「現場の声」を開発に取り入れていった。​

試行錯誤を繰り返し、1971年に世界で初めて全旋回式ミニショベルが開発された。当時のショベルは大型のものしかなく、誰も見たことのない小さな重機は「おもちゃみたいだな、床の間にでも飾っておくのか?」と、周囲の笑いの的になった。しかし、そうした声とは裏腹に、小型軽量で作業性の高いミニショベルは、地元の土木業者から圧倒的な支持を得ていく。​

1975

OEM供給の時代​

1975年、大手建設機械メーカーであるヤンマーとOEM契約を結び、全国展開をスタートさせた。当時は建設ラッシュで建設機械市場は拡大していた。住宅ブームや市街地開発も相まって、ミニショベルのニーズは一気に高まったが、いくら優れた製品でも、売ってくれる場所や人がいなければ売れない。そこで竹内製作所は、大手建設機械メーカーによる受託生産(OEM)を行い、ものづくりに専念することにした。​

ヤンマーをはじめ、IHI、神戸製鋼所など、OEM供給先のブランド名を冠したミニショベルは、日本全国に浸透していく。ミニショベル市場は順調に拡大し、順風満帆に思われたが、「これは売れる」とOEM供給先の大手メーカーは相次いで自社生産に切り替えるようになった。1991年200億円を超えていた売上高は、1994年には100億円を割り込んだ。すでに国内にはメーカーが乱立し、販売チャネル(売る仕組み)もなかったため、竹内は以前から進めていた欧米市場へ経営資源を集中させることを決断した。​

1979

自社ブランドの海外展開​

1979年、竹内製作所は米国に初の海外販売拠点を設立した。通常、海外進出では綿密な市場調査を行いながら営業戦略を構築していくが、ミニショベルの市場自体が存在しなかったため、それにも限界があった。それならば潜在需要を掘り起こす方が先だと考え、積極的に広告を打ち、展示会に出て製品を見てもらう機会を増やす戦略を取る。展示会ではサンプル機を出展し、具体的な利用場所や利便性をアピールした結果、フランスから来ていた視察団から取引の申し出を受けたのである。これを契機に、他の欧州の国からも申し出があり、販売は拡大していった。このときも、竹内はユーザーの工事現場へ足を運び、評価、要望、そして苦情を聞き、改良や機種開発を進めた。​

欧米の建設機械の稼働時間は年間2,000時間と、日本の1,000時間程度の稼働時間に対し大幅に長い。この違いに対応するため、部材の鉄板なども見直し、品質の向上と耐久性を追求した。こうしたユーザーニーズを反映したショベルが開発され、販売は伸びていった。​

1986

クローラーローダーの開発​

1985年に竹内が渡米した際、工事現場でタイヤ式のローダーが稼働していない状況を見かける。​

米国は強粘土質の土地のため、雨が降るとタイヤに泥が張り付きスタックしてしまい仕事にならない。雨の日でも使えるよう足回りをクローラー式(無限軌道式)に変える開発に乗り出し、1986年に世界で初めてクローラーローダーが開発された。その後、クローラーローダーの利便性が評価され、参入するメーカーが増えたことにより、ミニショベルに肩を並べるほどの市場規模に成長した。​

顧客ニーズに向き合う​

大型ショベルには搭載されているが、小型ショベルには搭載されていない機能がある。大型のように単価が高い機種では採算がとれるが、小型のように単価が低いショベルでは採算が合わないためだ。しかし、顧客の立場からすれば、役に立つ機能であれば価格が少し高くなっても良いのではないか。竹内は値段では勝負せず、顧客のニーズに徹底的に向き合うことを決めた。これは、市場価格より少し高くてもTAKEUCHIを選ぶファンを創出する方針への転換期だった。​

 ショベルの滑らかな動きや作業精度の向上にもこだわり、顧客ニーズを反映した世界初の「機能」を次々に導入した。既存の小型ショベルにはない新たな試みは、顧客から高く評価された。​

徹底した現場主義​

竹内は自ら現場へ出向き、顧客の意見を聞き、製品開発へ活かした。​

顧客ニーズ取り入れる開発スタイルは、現在の「竹内製作所」に脈々と受け継がれている。​